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人間とロボットのあいだ


公開日:2008年11月9日( 最終更新日:2009年3月23日 ) [ 記事 ]
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今回は、

「人間らしい生き方とは、どのような生き方なのだろうか?」

というテーマについて書いてみたいと思います。

ネズミをラジコンにしてしまった

と、その前に。

以前紹介した、「進化しすぎた脳」という本から、
衝撃的な実験を一つ紹介しましょう。

 いまみんなに見せているのは『ネイチャー』の2002年5月2日号に載った、たった2ページからなる論文のコピー。
 これがすごく衝撃的な論文だった。この実験で何をやったのかは、タイトルを見ればわかるかな。ネズミ/リモートコントロール/ナビゲーションって書いてあるでしょ。
 そう、「ネズミをラジコンにしてしまった」という論文なんだ。もちろん本物のネズミを使ってだよ。ロボットのネズミがあって、それをラジコンにつくりかえたようなものなら、おもちゃ屋さんに行けば買える。いや、売ってないか、そんな物は(笑)。
 でも、これは「ほんとに生きているネズミを人間が自在に操作できる」という論文なんだ。驚きでしょ。

池谷裕二著 「進化しすぎた脳」 朝日出版社(2004年)より

なんと、本物の生きているネズミをラジコンのように
自由に操作できるようにしてしまったというのです。

本題からずれてしまうので、ここでは詳しく触れませんが、
ネズミの脳に電極を刺し、その電極から脳を刺激することによって
自由自在にネズミをコントロールできるようにしたそうです。
(それも、たった3本の電極で実現したといいます。)

詳しくは、「進化しすぎた脳」を読んでみてください。

ところで、そのネズミの「こころ」や、「自由意志」といったものは
どうなっているのでしょうか?

同書によれば、

 そうなると[引用者注:ネズミがロボット化されてしまうと]、ネズミは近くにどんなに美味しいご馳走があろうとも、水があろうとも、全部無視。

[…中略…]

 どんなに傾斜が急で危ない階段であろうと、どんなに幅の狭い高架橋であろうと――ネズミはそういう場所が嫌いなんだけど――、歩かされてしまうんだ。

池谷裕二著 「進化しすぎた脳」 朝日出版社(2004年)より

といいます。

残念ながら、この結果からはネズミの「こころ」や、「自由意志」が
どうなってしまったのかを完全に把握することはできません。

しかし、少なくとも、本能(食欲や、危険を避けたいという欲求)や、
自律的に次の行動を決めて、実際にその行動を起こす能力は
失われてしまっている
と考えてよいと思います。


ロボット人間の世界

ところで、この技術は人間に適用することもできるのでしょうか?

同書によれば、

このネズミ・ロボットの実験は原理的には人間にも応用可能

池谷裕二著 「進化しすぎた脳」 朝日出版社(2004年)より

だといいます。


ここで、こんな未来を考えてみましょう。

近い将来、この「ラジコン技術」が確立され、
人間にも応用されるようになってしまったとします。

電極を埋め込まれた人間は、食べ物にも見向きもせず、
どんなに危険な作業であろうとも、文句のひとつも言わずに
黙々とこなしていきます。

このような人たちが、危険な工場や作業現場で、
一日中、休むことなく働かされ続けています。

全ては、リモコンの持ち主の思うがままです。


もちろん、これは純粋に技術的なはなしであって、
他人を自由に操ろうなどということは、倫理的に問題があるので、
現実のものとなる可能性は低いでしょう。
(と、願いたいです。)

しかし、もはやこれは映画や小説の世界だけのはなしではなく、
十分現実味を持った技術であると言って良いと思います。


人間なのか、機械なのか?それが問題だ。

ここでの目的は、本当にこのような「ロボット人間」が
つくられるかどうかを議論することではないので、
本題に戻りたいと思います。

上で登場したような、電極を埋め込まれてしまい、
リモコンの持ち主の思い通りに、どんなに危険で辛い仕事であっても、
不満を漏らすこともなく淡々と仕事をこなすだけのロボット人間は、

人間なのでしょうか?それとも、機械なのでしょうか?


もちろん、これには賛否両論があると思います。

「元が人間なのだから、誰かにコントロールされていたとしても人間だ。」

と言うこともできますし、

「自由意志をリモコンの持ち主に奪われて、
ただただ指示されたことだけを繰り返すだけなら、
工場にあるようなロボットアームと一緒じゃないか。」


と言うこともできます。
当然、その他にも意見はたくさんあるでしょう。

しかし、

この「ロボット人間」の生活は、人間らしい生活と言えるでしょうか?

と、質問を変えるとどうでしょう。

実際に調査をしたわけではないので、確実なことは言えませんが、
おそらく、この質問には100人中100人が「No」と答えると思います。

電極を埋め込まれ、リモコンに自由な意志を奪われるような生活が、
「人間らしい生き方だ」などという人は皆無に等しいと思います。



人間らしい生き方に、必要不可欠なもの

このようなことから考えれば、人間が人間らしく生きるためには、
自由が必要不可欠
だということが言えると思います。


自由というのは、自分のことに関しての自由です。
決して、他人に電極を埋め込んでリモコンで好き勝手に
コントロールしても良いという自由ではありません。



長々と書いてきた割に、結論は当たり前のことです。
しかし当たり前ではあっても、それはとても大切なことです。

にも関わらず、世の中を見渡せば、
人を自分の思い通りにコントロールしようと必死になる人や、
そのコントロールを受けて、辛い思いをしている人が
少なからず存在しています。

あるいは、自分でも気づかぬ間に、
自由を手放している人も数多く存在します。

例えば、常識という言葉に囚われ過ぎて、
自由な思考を手放してしまっている人もいるでしょう。
他にも、他人への過度の依存が原因で自由を
失ってしまっている人もいるでしょう。

私達は、自由の大切さを、再認識しなければならないのかもしれません。




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