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外的自立とは?【自立を考えるシリーズ3】
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自立とは何か?―10年間熟成させた“自立”の意味
今回で、「自立を考えるシリーズ」も3回目となりました。
1回目の「自立とは何か?【自立を考えるシリーズ1】」では、内的自立と外的自立という2つの状態に分けることによって、自立という状態を上手く説明することができるということを書きました。
さらに、2回目の「内的自立とは?【自立を考えるシリーズ2】」で、内的自立について詳しく説明してきました。
今回の記事では、外的自立について考えていきたいと思います。
自立を考えるシリーズの記事一覧
内的自立、外的自立とは?
忘れてしまっている人もいるかもしれないので、まずは「内的自立」、「外的自立」という言葉についてもう一度説明しましょう。内的自立: | 自己責任の意識を持ったうえで、自分の意志に従って行動や判断などを決定することができること |
外的自立: | 現実的な選択肢を複数持っていること |
また、このような状態以外を内的依存と、外的依存と呼びます。
外的に自立できれば、より自由になれる
それでは、外的自立の詳しい説明に入っていきましょう。外的自立を考えるときに、最も重要になる部分は「選択肢が複数」という部分です。
例を使って説明しましょう。次のような人を想像してみて下さい。
その人は、非常に良い商品をつくる技術を持っていて、変な欲を出したりせずに、その商品を売って堅実な生活を送っています。しかし、彼のお客さんは一人しか居なかったとしましょう。
この場合、彼の商売は外的に依存している状態です。お客さんが一人しか居ないということは、そのお客さん以外に収入を得る選択肢がないからです。
お客さんが一人しか居ないと言うと、あまり現実的に感じられない場合は、納入先が一社しかない子会社のようなイメージで読んでいただけば良いかもしれません。
では、この状態について考えていきましょう。
まず、この状態では、極端に自由が制限されるということが言えます。
例えば、その一人のお客さんが理不尽な要求をしてきたとしても、従わざるを得ない場面が多々有るでしょう。
違法行為でさえ、簡単に断ることは難しいかもしれません。
つまり、彼の商売は、そのお客さんがその気になれば、簡単に支配されてしまうのです。
逆に、外的自立状態(沢山のお客さんが居る状態)であれば、理不尽な行為、ましてや不法行為を要求されても、お客さんがひとりしかいない場合に比べてはるかに簡単に断ることができます。
当たり前のことではありますが、選択肢がない場合に較べて、格段に自由になることができるのです。
ただし、これは外的なレベルで自由ということであって、現実的な選択肢をたくさん持っていたとしても、内的自立(自分の意志で選択する)ができていなければ、結局は自由に選択することはできません。
外的に自立できれば、事故も怖くない
次に、事故や不測の事態に弱いということが挙げられます。この例であれば、たった一人のお客さんに何かあれば、その途端に商売が立ち行かなくなってしまいます。
例えば、「お客さんの事業が失敗してしまってそれ以上買えなくなった」というような事態が起これば、一瞬にして彼の商売も危機に瀕することになります。
このように外的依存状態は、事故や不測の事態に弱いといえます。
逆に、外的自立状態(沢山のお客さんが居る状態)であれば、事故や不測の事態に比較的強いと言えます。
仮に、事故や不測の事態で一部のお客さんと取引できない状態になってしまっても、他のお客さんとの取引は続けることができるからです。
外的自立を目指すべきか?
このように、外的自立には、「支配などを受け入れる必要はなく、自由な状態」、「事故や不測の事態に強い状態」というような良い面が目立ちます。ということは、常に外的自立を目指すべきなのでしょうか?
私の答えは「場合による」です。
というのも、内的自立のような内面(心)の自立であれば、決して楽ではありませんが、常に目指すということは可能です。しかし、外的自立は外面(自分以外のもの)に関わる自立なので、自分の力だけではどうしようもない部分が存在するからです。
ところで、外的自立の意味を思い出してみると、「現実的な選択肢を複数持っていること」でした。この中に「現実的」という部分がありますが、この「現実的」という部分がこのことを説明するための重要なキーワードになります。
現実的といっても、これには「客観的に現実的という意味」と、「主観的に現実的という意味」の2つがあります。
客観的に現実的というのは、「本人以外の状況がその選択肢を許すか?」という意味です。また、主観的に現実的というのは、「本人がその選択肢を許すか?」という意味です。
例えば、中学時代から数学や物理の勉強をまったくしていない人が、突然、「科学・技術系の仕事をしたい!」と言い出しても、それは不可能だというのが「客観的に現実的ではない選択肢」です。
また、難しい大学を出てエリート街道まっしぐらな人が居たとします。その人のお父さんは「実家に戻って、農業を継いで欲しい」と思っていますが、本人は「そんなのは嫌だ」と思っていたとします。
このような場合の「実家に帰って農業を継ぐ」という選択肢が、彼にとっての「主観的に現実的ではない選択肢」です。(もちろん、どちらの選択肢が上という意味ではありません。個々人の価値観の問題です。)
これらの「客観的に現実的」と「主観的に現実的」という2つの意味で現実的な選択肢を増やすことが外的自立と言うことが出来ます。
この現実的な範囲という枠のおかげで、外的自立という考え方が現実離れした机上の空論にならずに済みます。と同時に、この枠がある限り、すべての分野で完全な外的自立というようなことは不可能になります。
「客観的に現実的という枠」との付き合い方
では、「客観的な現実的という枠」にどのように対処すればよいのかについて考えていきたいと思います。結論から言えば、バランスが非常に重要になってくると言えます。
例えば、私はメールを重要な連絡手段と考えています。ですから、常に複数の選択肢を持てるように意識しています。
そのために、メインのメールアドレスの他に、フリーのメールアドレスもいくつか持っています。メインのメールサーバーに何かあったときに過去のメールが読めるように、サーバー側(インターネット側)とローカル側(パソコン側)両方にメールを保存するようにしています。
また、メインのメールに送られてきたメールはすべて自動でフリーメールに転送して保存されるように設定されています。また、外出時や停電時でも携帯電話からメールをチェックできるようにもなっています。
さらに、地震などの災害にも備えてこのような手回し充電器も用意しています。(これはメールのためというよりは、災害時に情報源として携帯電話を使いたいという意味の方が大きいですが。)
それでも、もし大きな災害が起きて電話会社の設備までも使えなくなってしまえば、メールは使えなくなってしまいます。
ですが私の場合は、さすがにそこまではメールの必要性を感じていませんので、そのような場合の対策をする気はありません。
人によっては、特殊な職業などに就いているなどの理由で、このような場合でも使える人工衛星と通信できる携帯電話が必要かもしれません。
また、多くの人によっては、私のしている対策でも「やり過ぎ」と感じるかもしれませんし、私と同じくらいの対策をしている人もいるかもしれません。
もちろん、どの対策が正しいということはありません。それぞれ自分にあったレベルでバランスをとることが大切です。
このように、どのような分野であっても、個人個人で必要に応じて、どの程度まで選択肢を確保しておくかというバランスが大切になってきます。
また、人間の時間やエネルギー、お金などは無限ではありませんから、メールのバックアップ体制ために手間ひまをかければ、当然ほかの分野に使うことができる時間、労力、お金などは限られてきます。
ですから、他の分野とバランスをとることも非常に重要です。
例えば私の場合であれば、テレビはあまり好きではないので、PCのディスプレイに付属しているテレビしか持っていませんし、番組を見逃したときのために予約録画をするようなこともしません。
デジタル放送になって今のテレビが使えなくなったら、もうテレビは見なくてもいいかなと思っているほどです。
テレビに関する選択肢をあまり必要としていないのです。
このように(私にとって)必要のない分野に時間、エネルギー、お金などを使わないことによって、その分を私にとってより大切な分野の選択肢を増やすために使うことができるのです。
つまり、どのような分野でも選択肢は多ければ多いほど良いというものではなく、必要性を考えながら、バランスをとることが重要なのです。
「主観的に現実的という枠」との付き合い方
次に、「主観的な現実的という枠」にどのように対処すればよいのかについて考えていきたいと思います。既に書いたように、主観的に現実的というのは、「本人がその選択肢を許すか?」という意味です。こちらも、「客観的に現実的という枠」との付き合い方と同様に、バランスが重要ということになります。
例えば、次のような人を考えてみましょう。
彼はサラリーマンとして働いて収入を得ていて、他に副収入などの収入源はありません。
今の仕事を失ってしまったら、新しい仕事の当てはひとつだけあります。彼の能力があればその仕事に就くことは簡単ですが、彼にとっては良心の痛むような仕事で、絶対に就きたくはないと考えています。
また、他にも彼の能力で就くことができる仕事はあるかもしれませんが、彼はそんな仕事が存在することを知りません。(「そんなバカな!」と思われるかもしれませんが、人は往々にして、自分の狭い価値観以外の世界を知らないものです。)
この場合、客観的に見れば、彼には今の仕事以外に収入を得るための選択肢があるように見えますが、主観的(本人の気持ち)には、今の仕事以外には選択肢がないということになります。
もちろん、彼が自分の気持ちを押し殺して我慢することを選べば、現実的な選択肢は増えることになります。しかし、無理をして「どうしても嫌なこと」を続けることになれば、幸せな人生からは遠ざかることになるでしょう。
とは言え、「これも嫌だ。あれも嫌だ。」と何でも嫌がっていれば生きていくことができないのもまた事実です。
突然今の職を失ってしまって、どうしても緊急に新しい仕事が必要になってしまったら、どんなに嫌でも一時的にその仕事に就く必要に迫られることもあるかもしれません。
もちろん、そのどちらに偏ってしまっても、その結果は悪いものになってしまうでしょう。
どんなに嫌なことであっても耐えなければならないときもあれば、逆に自分の気持ちを主張しなければならない場合もあるでしょう。
このように自分の気持ちを尊重しつつも、現実のバランスをとることが重要になってくるでしょう。
ちなみに、もし私が彼の立場であれば、自分の気持ちとしても納得がいき、客観的にも現実的な仕事や収入源を見つけたり、つくるための努力をすると思います。
そして、万が一、その実現の前に今の収入を失うようなことがあれば、どうしても嫌な仕事であっても一時的に耐えてその仕事をするというようなバランスのとり方をすると思います。
(もちろん、これが正しいなどと主張するつもりはありません。個々人の価値観に応じてバランスをとればよいと思います。)
長期的な視点でバランスを考える
これまでに、選択肢の数は多ければ多いほど良いというものではなく、必要性を考えながら選択肢を得るための時間・エネルギー・お金などをバランスよく配分したり、自分の気持ちと現実のバランスをとることが大切だと書いてきました。このバランスを考えるうえで、どうしても重要になってくるのが「長期的な視点で考える」ということです。
これは、一言で言えば、
「その選択肢を選択することは、将来の選択の幅を広げるだろうか?」
という質問に答えるということです。
例えば、お金はとても便利なものです。お金さえあれば、生活に必要なものはたいてい買えますし、色々なサービスを受けることが出来ます。
お金を持っていれば、お金でどうにかなる問題に関しては、一気に選択肢が増えることになります。と同時に、お金が使えなくなった途端に大量の選択肢を失うことになります。
つまり、お金を持つことによって、多くの選択肢が手に入るからといって、お金に頼り過ぎると、お金への依存を強めることになるのです。
もちろん、私はお金を利用した社会のシステムを批判したいのではありません。お金がなければ、このような豊かな社会を築くことはできなかったでしょう。
私が言いたいのは、それが表面上は便利で選択肢を増やしてくれるように見えても、それに過度に依存するのは問題だということです。
例えば、「お金さえあれば、何でもできる」などと勘違いして、お金に過度に依存してしまった人は、大地震が起こってお金が使えないようになれば、今日・明日の食べ物すら手に入れることは出来ません。食料を手に入れるための選択肢がなくなってしまうのです。
一方で、お金は便利なものとして利用しながらも、過度の依存は避け、非常食や保存用の水を用意していた人は、救助隊が来てくれるまで、それを使って生き延びるという選択肢を持つことが出来ます。
このように、一見すると効率的に選択肢を増やすことができるように見えても、長い目で見れば、ひとつのものへの依存を強めてしまい、結果的に選択の幅を狭めてしまうということも往々にしてあるのです。長期的な視野を持ってバランスをとっていくことが大切です。
まとめ&次回予告
今回の記事では、外的自立について考えてきました。その結果、外的に依存している状態、外的に自立している状態の特徴は次のようなものだということがわかりました。
外的依存状態の人の特徴
- 選択肢が少ない状態なので、選択の自由はなく、悪い場合には依存対象による支配を受け入れざるを得なくなることもある
- 選択肢が少ない状態なので、事故や不測の事態で、ひとつでも選択肢を失うと、大きな影響を受ける
外的自立状態の人の特徴
- 多数の選択肢を持っている状態なので、外的なレベルでは、自由に選択することができ、簡単には支配を受け入れざるを得ないような状況には陥らない
- 多数の選択肢を持っている状態なので、事故や不測の事態が起こってしまい、多少の選択肢を失ってしまっても、大きな影響を受けることはない
また、外的自立を考える場合にはバランスが重要だということを書きました。
外的自立を考える場合のバランスの重要性
- 選択肢は必ずしも多ければ良いというものではなく、その選択肢のために必要な時間・エネルギー・お金などと、その選択肢の必要性のバランスをとることが重要
- 同様に、選択肢は多ければ多いほど良いというものではなく、自分の気持ちを尊重しつつも、現実とのバランスをとることが重要
- バランスをとるうえで、長期的な視点を持って考えることが重要
(一言で言えば、「その選択肢を選択することは、将来の選択の幅を広げるだろうか?」という質問に答えること。)
今回までの「自立を考えるシリーズ」で、内的自立と外的自立について、一通りの説明が終わりました。次回の「自立を考えるシリーズ」では、この内的自立と外的自立を組み合わせて考えてみたいと思います。
次回の記事:内的自立‐外的自立マトリクスで考える【自立を考えるシリーズ4】
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