新サイト“和楽の道”のお勧め記事

究極の成功とは?


公開日:2008年10月12日( 最終更新日:2009年2月28日 ) [ 記事 ]
タグ:, , , , , , , , , , , ,

人生における「究極の成功」とは、いったいなんでしょうか?

今回のテーマは、よく使われる「成功」という言葉、とりわけ「人生における成功」とは、いったい何なのだろうか、ということです。

2009年2月28日:加筆&修正しました

見せ掛けの成功に惑わされるな!

少し挑発的な見出しになってしましたが、世の中には、本当に多くの「見せ掛けの成功」が蔓延っていると思います。

私の考える究極の成功は、世間一般で言われる成功とは少し違うかもしれません。

私にとっての、もっとも成功した人生とは、金持ちになることでも、地位・名声を得ることでも、人を蹴落として出世することでも、社長になることでも、誰もがうらやむような相手と結婚することでも、高級外車を乗り回すことでもありません。

オリンピックの舞台で金メダルをとることでもないし、武道館でコンサートを開くことでもありません。

私には、このような「常識的な成功」は、「見せ掛けの成功」に過ぎないと思えてなりません。


お金があっても、成功者にはなれない

例えば、わかりやすい「お金」を例に説明しましょう。

お金といえば、まさに現代における成功のシンボルです。

大金を稼いで、高級マンションに住み、ブランド物に身を包み、高級外車を乗り回す……。

典型的な成功者のイメージはこんな感じでしょう。

ですが、もし仮に、大金を稼いでいたとしても、もっとたくさんのお金が欲しいけど手に入らないという不満足感や、さらに大金を稼ぐために、もっと頑張らなければという焦燥感に悩まされ、仕舞いには無理をして体を壊してしまったとしたらどうでしょうか?

そして万が一、世界一の金持ちになったとしても、

「誰かに世界一の座を奪われるのではないか?」
「誰かが自分のお金を狙っているのではないか?」

と不安や恐怖を感じていたとしたらどうでしょう?

さらに悪いことに、人を蹴落としたり、騙したりして、一番になった場合は罪悪感に苛まれるかもしれません。

こんな人生が「成功した人生」でしょうか?

私は、そうは思いません。


もちろん、

「お金持は全て成功者ではない!!」

などと言いたいわけではありません。

「たとえ、大金持ちになったとしても、成功とは言いがたい場合もありますよね?」

と言いたいのです。


たとえ大金を手に入れたとしても、成功と呼べる場合もあれば、呼べない場合もあるのです。

つまり、お金と成功には関係がないのです。



究極の成功とは

では、見せ掛けではなく、本当の意味での成功とは何なのでしょうか?

「落ち着いたこころで、幸せを感じながら生きる人生」

これが、私の考える「究極の成功」です。

たとえ、大金を手に入れたとしても、もっとたくさんのお金が欲しいけど手に入らないという不満足感や、さらに大金を稼ぐために、もっと頑張らなければという焦燥感、そのお金を失うのではないかという不安や恐怖……。

こういったものに、常に心を惑わされ、イライラさせられ、不幸を感じていたとしたら、死を迎える瞬間に、

「良い人生だったな。」

と思うことは難しいかもしれません。


これは、お金に限った話ではなく、地位や名声、高級ブランド、一等地のマンションなどなど、どんなことに関しても言えると思います。

逆に、贅沢三昧をするだけの大金がなかったとしても、「足るを知るこころ」を持って、毎日、満足感を感じながら暮らしていたらどうでしょうか?

その時には、こころを騒がせイライラさせる要因がひとつ減り、安定した心で幸せに生きることに繋がるでしょう。

そんな生き方を続けていれば、死を迎える瞬間、いや、死を迎える瞬間だけでなくいつでも、「良い人生だな。」と感じることができるでしょう。

これこそが、「本当に成功した人生」ではないでしょうか?


ただし、誤解しないでいただきたいのは、決して、お金や地位、名声などを持つことが悪いと言いたいわけではないということです。

お金も地位も名声も兼ね備えた人で、毎日を幸せに生きている人も間違いなく存在します。また、極端にお金を持っていなければ、「足りるを知る心」を持ったとしても、現実的に生活をしていくことが難しいのもまた事実です。

ただ、それらを得ることが人生の目的になってしまい、こころが落ち着かず、いつもイライラして過ごすような人生は、成功とは言いがたいのではないかと言いたいのです。


重要なのは、バランスなのです。

では、私たちが「成功」しようと思ったとき、実際にはどのような戦略があるのでしょうか?

重要なのは、「求める心」と「足りるを知る心」のバランスだと思います。

このことに関して、「フロー理論」で有名な心理学者のミハイ・チクセントミハイ教授が、著書の「フロー体験 喜びの現象学」のなかで、非常に上手く説明してくれているので、引用したいと思います。

 生活の質を改善するための主な戦略は二つある。第一は環境条件を我々の目標に合致させようとすることであり、第二は環境条件を目標によりよく適合させるために、環境条件を経験する仕方を変えることである。たとえば安全は幸福の重要な要素である。安全感は、銃を買う、玄関に丈夫な錠前をつける、[…中略…]、または市民秩序の重要性への意識を高めるため地域社会に働きかけるなどによって高まる。これらのさまざまな対応はすべて、環境の側の条件を我々の目標によりよく適合させることを狙いにしている。安全感を持つことができる他の方法は、安全という言葉で意味するものの修正を必要とする。もし完全な安全を望まず、危険は避けられないことを認識して、理想には達しない世界でも楽しむことができれば、幸福が危険に脅かされるという恐れはそれほど大きくはなくなる。

M・チクセントミハイ著 「フロー体験 喜びの現象学」 世界思想社(1996年) 55ページより

つまり、上で書いたお金の例で言えば、「環境条件を我々の目標に合致させようとする」というのが、お金を求めて努力をするということに相当します。

次に、「環境条件を経験する仕方を変えること」というのが、贅沢三昧をして誰もが羨むような生活を送ることが出来なくても、そのなかでも幸せに生きていこうという考え方に相当します。

前者が「求める心」で、後者が「足りるを知る心」ですね。


そして、チクセントミハイ教授は、

 この二つの戦略はどちらも単独で用いても効果はない。

M・チクセントミハイ著 「フロー体験 喜びの現象学」 世界思想社(1996年) 55ページより

と言います。

上に書いてきたように、お金を求めすぎても不幸になりますし、安全を求めすぎても完全な安全は手に入らず、不安感から逃れることはできません。

だからといって、今日の食べ物も不安になるほどの貧困や、いつ襲われるかわからないような極端に治安の悪い状況では、「落ち着いた心で幸せに生きる」などということは非常に難しいでしょう。

このように、求める心だけでも上手くいきませんし、足りるを知る心だけでも上手くいきません。両者のバランスが重要なのです。


あなたにとっての「成功」とはなんですか?

最後に、価値観は多様なものですですから、私の価値観をあなたに押し付けようというつもりはまったくありません。

もしかしたら、あなたの考える「成功」によっては、私の主張があなたを批判しているように感じられたかもしれません。

ですが、そんなつもりは全くありませんので、ひとつの意見として、「素直なこころ」を持って読んでいただければ幸いです。

そして、あなたの頭でよく吟味した上で、参考になる部分は取り入れてもらえればと思います。




◆ 新サイト『和楽の道』からのお知らせ ◆

【 “和楽の道”が発行する無料メール講座 】
あなたの人生を取り戻す、8つの質問 by 和楽の道

【 “和楽の言葉”をお届けします 】
「覚えておきたい言葉」も、一晩で忘れちゃう。そんなあなたへ。「和楽の言葉」を毎日お届けします。和楽の道とツイッターの連動サービス。


新サイト“和楽の道”のお勧め記事
タグ:
サブコンテンツ

このページの先頭へ