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内的自立とは?【自立を考えるシリーズ2】
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自立とは何か?―10年間熟成させた“自立”の意味
前回の「自立とは何か?【自立を考えるシリーズ1】」では、そもそも自立とは何なのかということについて考えました。
そして、内的自立と外的自立という2つの状態に分けて考えることによって、自立を上手く説明できるという結論に至りました。
今回は、その内的自立について深く考えてみたいと思います。
内的自立、外的自立とは?
その前に復習として、内的自立と外的自立の意味を確認しておきましょう。内的自立・外的自立とは、次のような意味でした。
内的自立: | 自己責任の意識を持ったうえで、自分の意志に従って行動や判断などを決定することができること |
外的自立: | 現実的な選択肢を複数持っていること |
また、このような状態以外を「内的依存」、「外的依存」と呼ぶことにしました。
「内的自立」は、今回の記事のメインテーマなので、しっかりと意味を押さえておいてください。
それでは早速、内的自立について考えていきましょう。
内的自立は、健全な人間関係の絶対条件
ここではまず、内的自立と人間関係について考えてみましょう。内的に自立できていないと人間関係にどのような影響を及ぼすのでしょうか?まず結論から言えば、内的に自立できていない人は、健全な人間関係を築くことが出来ません。
例えば、内的に自立できていない人の例として、何かあると直ぐに、「○○が△△だから、××なんです。私は悪くない。悪いのは○○なんだ!」と言って、責任を他者に押し付ける人が挙げられます。
説明するまでもありませんが、他人の責任を押し付けられて、嬉しい人が居るはずがありません。誰でも嫌な思いをするでしょう。
そんなことを繰り返していれば、次第に人が離れていき、ひどい場合には誰からも相手にされなくなってしまうでしょう。
また、責任を他者に押し付けるということは、他者に問題の原因を見出すことになりますから、必然的に「悪いのは○○だ!」というふうに被害者意識を持つことになります。
つまり、責任を押し付けられた側が嫌な思いをするのは当然として、押し付けている側も「悪いのは相手で、自分はその被害者」と考えていますので、(それが正当なものかどうかは別として)嫌な思いをすることになります。
このようにお互いに憎み合っていれば、ますます関係が悪化していくのは当然の成り行きでしょう。
まさに、百害あって一利なしです。
ただし、内的に自立していれば、それだけで健全な人間関係を築けるのかといえば、それは違います。
例えば、自分の意志・責任であっても、人に嫌がらせを繰り返すようなことをすれば、当然の結果として人間関係は悪化することになります。
内的自立は、健全な人間関係を築くために絶対に必要な条件ではありますが、内的自立だけで十分というわけではありません。
他者の意見を受け入れても、内的自立できる!
また、このようなことを書くと、他者からアドバイスを受けるのが良くないと思う人もいるかもしれません。というのも、他者の意見を受け入れることは「自分の意志で決める」という内的自立の条件に反すると考えることもできるからです。
また、他者のアドバイスを受けて判断すれば、「○○さんが、△△というアドバイスをくれたから、その通りにしたんです。」というように、責任が他者に移るように感じてしまいがちになります。
もちろん、これは内的に自立している状態とは言えません。
これでは、せっかくアドバイスをくれた人に不快な思いをさせてしまい、人間関係を破壊することになってしまいます。
さらにこの傾向が強くなると、「人の意見がないと決められない状態」になってしまいます。この状態の人は、下手をすると、「支配する側(意見を言う側)」と、「支配される側(言われたとおりにするだけ)」という歪んだ関係に陥ってしまう可能性すらあります。
ということは、困ったことがあったときに、他者にアドバイスを求めているようでは、内的に自立することはできないのでしょうか?
もちろん、そんなことはありません。
自分がアドバイスを受け入れるという決断をした結果であるにも関わらず、それを他人の選択の結果だと考え、その責任がアドバイスした側にあると考えることが依存的なのです。
なぜなら、アドバイスを受け入れないという選択をすることもできたからです。
しっかりと内的に自立した態度とは、「○○さんが、△△というアドバイスをくれたけれども、その通りにするかどうかは自分で決めることだから、アドバイスを受け入れた結果(あるいは、受け入れない結果)は自分の責任だ」という態度です。
自立しようと思うと、「人に頼っていたら自立なんてできない!」などと考えてしまいがちですが、そんなことはないのでご安心ください。人間誰もが、他者との助け合いのなかで生きているのです。
このように、「自分の意志」、「自己責任」という部分がしっかりしていれば、他者からアドバイスを受けるような場合でも、自分の意志・責任で選択する(内的自立)ことは可能なのです。
このような内的に自立した態度で築かれた関係は、「支配する側」、「支配される側」というような歪んだ関係などない、対等な立場同士の関係なのです。
ただし、それは内面的なレベルのはなしであって、内的に自立した態度でアドバイスを受けることができても、頼ることができる相手が限られてしまうと、それは外的依存です。
このような場合は、内面的には対等な立場であっても、特定の相手からしかアドバイスを受けることができないという意味では依存的です。
内的自立は、強力なエンパワーメント
次に、内的自立とその人の持つ影響力の関係について考えたいと思います。結論から言えば、内的自立が出来ていないと、物事に対する影響力を失うことになります。周囲の環境に振り回されるだけの、無力な人間になってしまうのです。
アメリカの有名なコンサルタントであるダン・ケネディ氏の著書『大金持ちをランチに誘え!』に、このことを説明するために格好の実例が挙げられているので、引用したいと思います。
[引用者注:著者のダン・ケネディ氏が]数年前に医師向けのセミナーを開催したときのことだ。
メアリーという婦人が、歯科医の夫と一緒に出席していた。休憩時間になると、彼女は私の袖を引っ張って部屋のすみに連れていった。「ちょっとお話しをしたいのですが」私たちは会議室からこっそり抜け出ると、玄関近くの応接室を見つけて入った。
「私、本当にイライラしているんです。」
彼女は言った。
「先生は、クリニックを大きくしていくためにあれもできる、これもできるって、いろいろな話をしてくださっていますよね。私たち、いつもこうしてセミナーに出かけては、よいアイディアを次から次へと仕入れるんです。でも、夫ときたら、何ひとつ新しいことを実行に移さないの。だからいいことは何も起こりません。
今ではスタッフも、セミナーから夫が帰ってきたら、数日間じっと待てば嵐は通り過ぎるとわかっています。そして、この三年間というもの、クリニックは1ミリだって大きくなっていないんです。」
ここに登場するメアリーという婦人は、せっかくセミナーに参加して良いアイデアを仕入れているにも関わらず、行動を起こそうとしない夫に三年間も腹を立てているといいます。
まさに、
「○○(夫)が△△(行動を起こさない)だから、××(クリニックが大きくならない)なんです。私は悪くない。悪いのは○○(夫)だ!」
という考え方ですね。
また、彼女は自分は被害者だと思い込んでいますので、「夫が変わらなければ、状況は変わらない」と考えています。
しかし、三年もこのような状態を続けているのですから、彼女の夫が変わるということは考えづらいでしょう。
ということは、彼女がクリニックの成長を望む限り、夫の被害者で居続けるほかないのです。
一方で、彼女の夫も、少なくないストレスを受け続けることになるでしょう。
そして、それが積み重なれば、やがて二人の関係は破綻し、最悪の場合は離婚ということも考えられます。これも、内的自立できていないと、健全な人間関係が築けないというひとつの例といえます。
はなしが脇道にそれてしまいました。
ここでのポイントは人間関係ではありませんでした。重要なのは、
「彼女がクリニックの成長を望む限り、夫の被害者で居続けるほかない」
という部分です。
彼女は、「○○(夫)が△△(行動を起こさない)だから、……。」と言って、夫に責任を押し付けました。と同時に、彼女は問題に対する決定権までも手放すことになりました。
この状態で、クリニックが成長するかどうかのすべては、彼女の夫が行動を起こすかどうかにかかっています。彼女には、一切の決定権がありません。
では、ダン・ケネディ氏は彼女にどのようなアドバイスをし、彼女はどうなったのでしょうか?
私[引用者注:ダン・ケネディ氏のこと]は尋ねた。
「あなたはご主人にどんなことをやってほしいのですか?」
「まずは商工会議所のメンバーになって、会合に参加して、地域の他業種の人たちと交流してくれたらいいな、と思います。あとは、地域の事業主や重役向けにDMキャンペーンを始めたり。それから、これまでに来院した患者さんや通院中の患者さん向けに、月次のニュースレターを出したりね。
そして、『いつまでも健康な歯を守るために』なんていう小さなハウツー本を出版するの。そうそう、オフィスも変えて欲しいわ。受付のあたりはもう一度きれいに整理整頓して、見映えよくしなくちゃね。
それに、電話の対応をしてくれる人が必要なんです。特にイエローページの広告を見て電話をかけてきてくれる新しい患者さんの対応をしてもらいたいので。そう、それから、それから……」
「ちょっと待ってください!」
私は、交通整理中の巡査よろしく手を挙げて、彼女をさえぎった。
「どれも、議論の余地なくすばらしいアイディアに聞こえますけど」
彼女は悲しげに首を振った。
「でも、夫はどれもやらないでしょうね」
「では、聞きますけどね」私は尋ねた。「あなたは何を待っているのですか?」
メアリーは絶句した。会議室に戻ってきたときも、まだじっと考えている様子だった。
※下線部は、原文では傍点です。
彼女は、クリニックを成長させるための素晴らしいアイディアを持っていたのです。素晴らしいアイディアを持っていたからこそ、行動を起こさない夫への苛立ちが大きかったとも言えるでしょう。
これに対して、ダン・ケネディ氏は「あなたは何を待っているのですか?」と質問します。
これはつまり、
「そんなに素晴らしいアイディアを持っているのなら、夫が行動してくれないと嘆き、責任を押し付けて、夫の行動を待っている暇があったら、自分の意志・責任で行動してはどうですか?」
という意味でしょう。
この、「自分の意志に従って、自己責任で行動するということ(内的自立)」こそ、非常に強力なエンパワーメント(力を手に入れること)なのです。
他者(夫)に責任を押し付けている限り、問題に対して影響力を持つことは出来ません。環境(責任を押し付ける対象)の奴隷になるしかありません。そこには自由は存在せず、ただただ環境に振り回されるのみです。
環境が変わらない限り、自分では問題に影響を与えることができないのです。
逆に、自分の責任・意志で選択することを決めれば、問題に対する影響力や、自分がどのように行動するかということについての決定権を持つことができます。
その後、彼女はどうなったのでしょうか?
それから一年程たったある日、別の医師向けのセミナーにメアリーの姿があった。一年前と同じように、休憩時間になると、彼女はこっそり夫のいない所に私を引っ張っていった。「お話ししたいのは」と彼女は口火を切った。
「私はあの晩、あんな答え方をした先生に、とっても腹を立てていたということです。同情してほしかったんです。先生が夫にきっちりと話をつけてくれれば、と思っていたんです。私に何かを言ってくるなんて、してほしくありませんでした」
「謝りましょうか?」私は尋ねた。
「とんでもない!」彼女は答えた。「私の新しい人生の話しを聞いて下さい!」
メアリーはもう、オフィスの歯科助手ではなかった。代わりの助手を雇うと、「マーケティング担当取締役」に自分自身を任命したのだった。
商工会議所のメンバーになり、ビジネス・ウーマンクラブに入り、司会者グループに参加し、デール・カーネギーのクラスを受講した。
[…中略…]
五ヶ月のうちに、患者数は二倍になった。最初はびっくりしていた夫も、彼女のやり方にしだいに慣れていった。どちらにしても、ひっきりなしに訪れる新患の対応に大わらわだった。
このように彼女は、自分の意志に従って、自己責任で行動する(内的自立)ことによって、環境(夫)に振り回される無力な存在から、問題(クリニックが大きくなるかどうか)に自由に影響力(マーケティング活動など)を与えることが出来るようになったのです。
もし、彼女が「夫が行動を起こさないから、クリニックが大きくならない」という態度で居続けたとしたら、このような結果が得られなかったことは明らかです。
内的自立は一日にして成らず
ところで、これを読むと、一度気がつけばあとは順風満帆で上手くいったように見えてしまうかもしれませんが、その過程では、彼女の「内的自立」が問われる場面が何度もあったことは容易に想像がつきます。例えば、彼女は商工会議所のメンバーになったとありますが、もしかしたら商工会議所に入っても予想していた結果が得られなかったかもしれません。
そのときに、彼女がまた内的依存の状態に逆戻りしてしまって「商工会議所の連中ときたら……。」と、他者に責任を見出すパラダイムで物事を見た瞬間に、彼女はまた無力な存在に逆戻りです。それは、商工会議所の人たちが変わらなければ、状況は変わらないと認めることになるからです。
内的自立という態度の獲得は、一朝一夕でどうにかなる問題ではなく、長期的な努力が必要なのです。
自己責任からは、絶対に逃げることは出来ない
これまで、内的自立について考えてきました。内的に依存してしまうことの悪い面ばかりが目立つ結果になりましたが、短期的には、メリット(?)がないとは言い切れません。
それは、内的依存状態でいることはとても楽と言うことです。
例えば、「あの人のアドバイス通りにしたら失敗したんです。」と人に責任を押し付けていれば、とても楽でしょう。
ただし、長期的に見れば、それは人間関係を破壊し、ものごとに対する影響力を失わせるという手痛い結果を招くことになります。
「自分の意志で決めているわけじゃない。」、「自分の責任じゃない。」と心の底から思っていたとしても、より深い意味では、「内的に自立した態度をとるという選択をすることも出来たにも関わらず、内的に依存した態度をとるという選択をした」ということになります。
ですから、最終的にはその結果(人間関係の悪化、影響力を失うなど)については自分で責任を取らなければならないのです。
そういう意味では、自己責任の覚悟があろうとなかろうと、より深い意味では、絶対に自己責任からは逃れることはできません。
よく使われる例えではありますが、春に種を蒔かなければ、秋に収穫が得られないという結果は絶対に変えることができないのです。
こんな話を読むと、暗くなってしまう人もいるかもしれませんが、そんな必要はまったくありません。
秋に収穫が欲しければ、春に種を蒔けばいいのです。内的自立の態度で居続ける努力をすれば、その結果は必ずあなたに帰ってくることになります。
もちろん、100%完全な内的自立というのは、限りなく不可能に近いかもしれません。
それでも、内的自立へ向けての努力は決して無駄にはならないでしょう。
あなたはどちらを選びますか……?
すべてはあなたの自由であり、あなたの責任です。
まとめ&次回予告
今回の記事では、内的自立について考えてきました。その結果、内的に依存している状態、内的に自立している状態の特徴は次のようなものだということがわかりました。
- 健全な人間関係を築くことが出来ない
典型的には、次のような例が考えられる- 自分の意志・自己責任で決めたという意識がないので、期待通りの結果が得られないと、責任を他者に押し付ける
- 責任を押し付けられて嬉しい人はいないので、恨みを買うことになる
- 他人に責任を押し付けている側も、責任は他者にあると考えているので、被害者意識を持つことになる
- お互いに嫌な思いをして、人間関係は悪化する
- 酷い場合には、「人の意見がないと決められない状態」に陥ってしまい、「支配する側」、「支配される側」というゆがんだ関係を生むことにもある
- 周囲の環境が変わらなければ、状況は変わらないと考えているので、環境に振り回されるだけの無力な存在になってしまう
- ものごとに対して、自分から影響を与えることは出来ず、自分の判断・行動などであっても決定権は環境に委ねられることになる
- 健全な人間関係を築くための基本的な要素のひとつが身についている
(内的自立だけで十分なわけではなく、自分の意志・責任であっても、人に嫌がらせを繰り返すようなことをすれば、当然の結果として関係は悪化する。ただし、内的に自立している人であれば、良い関係を築こうと思えば、自分の責任を認め、改善のための努力ができる。)
- 他者に助言を求めるような場合でも、内面的なレベルで支配・被支配という関係にはならずに、対等な関係を築くことができる
(例えば、「○○さんが、△△というアドバイスをくれたけれども、その通りにするかどうかは自分で決めることだから、アドバイスを受け入れた結果(あるいは、受け入れない結果)は自分の責任だ」というような態度をとることができるということ)
- 周囲の環境がどうあろうと、自分の意志・責任で判断・行動などすることができる非常に強力な存在
- ものごとに対して、自分から影響を与えることができ、自分の判断・行動などに関する決定権は自分で持っている
また、内的自立を目指すべきかどうかということについては、次のように考えました。
- 「自分の意志で決めているわけじゃない。」、「自分の責任じゃない。」と思っていたとしても、より深い意味では、「内的に自立した態度をとるという選択をすることも出来たにも関わらず、内的に依存した態度をとるという選択をした」ということになる
- 内的に依存した態度をとれば、それ相応の結果(「人間関係の悪化」、「ものごとに対する影響力を失う」など)を引き受けなければならない
- 内的に自立した態度をとるように心がければ、当然、その結果は返ってくる
- どちらを選ぶかは、本人の自由であり、責任でもある
(もちろん私は、内的自立を目指すことをお勧めします)
次回の自立を考えるシリーズでは、外的自立について考えたいと思います。
次回の記事:外的自立とは?【自立を考えるシリーズ3】
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この記事は、公開から10年近い月日が経過しています。
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